いつでも微笑みを

体を壊してやりたいこともなくなってしまったから、自分が思っていることを伝えたいことをとりとめもなくかいていくよ。

【負けないように、枯れないように】あなたのための物語/長谷敏司【読書感想】

「『死』に近いとは、自分が誰なのかっていう問いを、決定的に突きつけられることよ」

あらすじ

西暦2083年。人工神経制御言語・ITPの開発者サマンサは、ITPテキストで記述される仮想人格《wanna be》に小説の執筆をさせることによって、使用者が創造性を兼ね備えるという証明を試みていた。そんな矢先、サマンサの余命が半年であることが判明。彼女は残された日々を、ITP商品化の障壁である"感覚の平板化"の解決に捧げようとする。いっぽう《wanna be》は徐々に、彼女のための物語を語りはじめるが……。

公式サイトより抜粋

 

感想

 100年後の未来はどうなっているのだろうか。考えたことはありますか。おそらくそれを答えられる人間は誰もいないのではないでしょうか。ただしいつまでも変わらないことを一つだけあげるとするのであれば、それは人は生まれたら必ず死ぬという事実です。

 この物語の主人公サマンサは成功者の代名詞として描かれています。そんな彼女が死をなかなか受け入れることができない。偉大な人間でも死ぬという事実にはあらがえない。どんなにお金持ちであろうが、どんなに偉い人であろうが、どんなに頭のいい人であろうがその事実からは逃げられないし、その事実には明確な意味を見いだすことは難しいことなのだと、考えさせられる作品でした。

 サマンサが自分の死について人工知能と語るシーンはこの物語屈指の名場面です。なぜならば人間の最期は孤独であり、それは絶対に他人には理解出来ない。それは死んだ後生き返った人が存在せず、想像することしかできないからです。孤独ゆえ、その答えを人間では無い人工知能に見いだそうとした。しかし人工知能は明確な答えを出すことは出来ないと私は考えます。なぜなら人工知能は人間ではないからです。もし人工知能に答えを見いだすことが出来たと感じているのならばそれは、自身が勝手にした解釈にすぎないのです。

 作者はそのことを分かって書いていたと私は感じています。それは人工知能に《wanna be》と名付けているところから感じ取れます。《wanna be》=「なりたい」とこのお話ではルビが振られています。《wanna be》は確かになりたいという意味です。人工知能が限りなく人間に近づきたい。人間になりたい。そんな意味合いをもつのかと思うのですが、この《wanna be》という言葉は実は「~になりたがっている人」という意味で、一般的に「絶対それになることはできない」というネガティブなニュアンスを含んで使われるそうです。これは作者のジョークあるいは皮肉なのかなと感じずにはいられません。もしサマンサがここまで考えてAIに名前を付けたのであれば、彼女は人間になることが絶対に出来ないAIに死の意味を問いかけようとするのです。これは皮肉以外の何者でもないでしょう。最後に《wanna be》の事を気にかける描写がそれに拍車をかけるようですね。

まとめ

 私は未熟なのでこの作品の断片的なことしかつかめていません。もっと勉強して読み直せば新たな発見があるのかな…お世辞にも明るい話ではないですし、救いのある話でもありません。物語は淡々とサマンサの死にゆく姿を描いていくだけです。人によっては最後まで読むことがつらいのかなと思います。無理にとは言わないですが、人間として生を受けたのであれば是非チャレンジして欲しいテーマなのかなと私は考えます。
――今という時間を大切に。